
歩み・歴史
このページを作成するのかは非常に迷いましたが、どのような会社、お店にも歩みや歴史があり、また我々も懐かしむ事、失敗や成功の再確認、新しくスタッフを迎えた時に、どのようにして「今」があるのか…を感じていただければ嬉しいので、制作に至りました。ただ、一番の目的は観覧者様・お客様が「疾風ホルモン」を知っていただく事でより一層、興味を持ってもらい、ご来店の際に美味しさが増すスパイスになれば幸いです。
多くの悔しい失敗を重ね、分かち合う成功を喜び、それらを共有できるスタッフとお客様の笑顔が一歩、また一歩と背中を押してくれています。心より感謝いたします。
初著書 2022年1月のため、記憶の限りで書き留めます。画像は古いものも多く、画質が一部、見難いのもございます。長文が多いので、ゆっくりお茶やコーヒーと共に時間のある時にお読みください。一部、気分を害する表現や画像があるかもしれません。ご了承ください。
特選A5和牛
疾風ホルモン創業(営業中)


2010年7月12日オープン
疾風ホルモン久茂地本店を開業。当時は宮崎県口蹄疫問題が全国で報じられていた事、設備にイレギュラーが発生したり、思わぬ仕入れ状況により、資金がギリギリだったことをよく記憶しています。
一部の看板を上画像のように手書きで作ったり、壁紙など自分で貼りつけたり、食器やグラスもほとんどが100円均一で揃えるなど、今では考えられないスタートで不安もありましたが、手作り感満載の店に愛着も湧き、ワクワク感も大きかったです。何もかもが初めての出来事で、朝早くから店に入り、夜中まで準備に追われ、店に泊まる事もありました。
運がいい事に、本当に多くの良いお客様に支えられ、応援していただけたことで、3か月後には黒字にすることができました。当時としては珍しい、お肉の部位分けや、ホルモンの種類の多さがウケたことで「食べログ ベストレストラン」を受賞してからは、連日、忙しかったと記憶しています。現在も営業中。
かしわ焼肉専門
疾風とりべえ(閉店)


2011年2月1日オープン
姉妹店・疾風とりべえをオープン。日本三大地鶏(比内地鶏・名古屋コーチン・薩摩地鶏)を筆頭に青森シャモロック、東京しゃも、大和肉鶏、天草大王、やんばる地鶏、やんばる若鶏、大山どり、ありたどり、近江どり、赤鶏、みやざき地頭鶏、日向どり、プレノワール、プレジョール、ブレス鶏、ピカントン、ゲームヘン、鴨、きじ、鳩、烏骨鶏、ホロホロ鳥、うずらなど、圧倒的なブランド鶏の種類とホルモン、鶏刺身を取り揃えていました。
各席に設置された赤外線ロースターで、地鶏の焼きものなどを自分のペースで楽しむ、言わば「鶏専門の焼肉」燻製をかけた特製のタレや、山椒味噌など、疾風ホルモンとはタレもすべて違うものを用意。自信を持って挑みましたが、現在は閉店しております。
原因としては2つ、一つは早すぎた事。今では珍しくもない鶏焼肉ですが、当時は珍しくて受け入れてもらうのが難しく「串にささってないの?」「自分で焼くの?」「炭火じゃないの?」など、まずセルフ焼き鳥が受け入れられにくく、更に「鶏は安いもの」という認識がブランド鶏の値段に抵抗感をもたれる事も多かったです。
2つ目は人に任せる難しさ。社長が現場で奮闘していた時は黒字化していましたが、三店舗目「疾風ホルモン前島店」のオープンに先立ち、従業員に任せる事になったのですが、みるみる売り上げは減少していき、閉店という結果になってしまいました。決して、従業員が悪いとかではなく、育成、熱量、土台、技術、知識…様々なものが足りていなかったし、急いでしまったと反省と共に勉強、成長させていただきました。早い段階で気づけた事、失敗したことは運がよかったです。
なお、この気持ちを忘れてはいけない&またいつか鶏のお店にチャレンジしたいっという誓いとして、箸袋やショップカード、名刺に印刷されている、牛と鶏のシルエットデザインを今も採用している。
A5焼肉と3Dステーキ
疾風ホルモン前島店(営業中)


2012年4月6日オープン
疾風ホルモン前島店のコンセプトはよりリッチ層をターゲットにしたお店作りです。ドでかい外看板と重厚感ある外観。広い空間を利用した、個室や半個室で接待やカップルにも特別な空間を提供(当時、沖縄にはまだ個室焼肉は少数でした)、お座敷は最大15人ほど収容可能となり、本店の弱みでもあった団体客様への対応も可能となりました。呼びベルでスタッフを呼ぶタイプでスタッフや他のお客様の視線なども感じません。当時の沖縄は松山の隣ということもあり、深夜帯から早朝が非常に強く、朝8時まで営業していました。朝5時から満席になることも…
料理は焼肉はもちろんの事、今回は3Dステーキも売りにしていこうとメニューも本店とは打って変わって、洋食寄りでワインに力を入れ始めたのも、この頃からでした。3Dステーキとは、塊肉のステーキで、当時は1~2㎝厚のステーキが支流で、「もっと、肉汁がパンパンに滞留した塊肉を味わってほしい」っと情熱を燃やしていました。ワインは大当たりで売れましたが、3Dステーキは中々、うまくいかず、上手に焼けるスタッフの常駐や「焼肉を食べに来ているから」っという声も沢山頂きました。結果的に3Dステーキは断念して、焼肉にシフトしていきます。今でも看板やカードには3Dステーキの文字は残しております。著書している2022年では、塊肉は一般的に受け入れられていますが、またしても早すぎたのかもしれないと感じています。
現在も営業中。今では営業時間も01:00(LO)となり、本店、前島店ともにメニューは共通となっております。3Dステーキはございませんが、塊肉メニューはあります。前島店限定でモツ鍋もご用意しております。
特選A3和牛食べ放題
疾風ホルモン国際通り店(閉店)


2012年6月1日オープン
疾風とりべえ閉店跡地をそのままに看板やメニューを変えて新店開業。その名も「A3和牛食べ放題・疾風ホルモン国際通り店」コンセプトも変え、リニューアルオープン。もちろん、当時は和牛食べ放題は沖縄初です。何がどう転ぶかは解りませんでしたが「もっと身近に和牛を感じて欲しい。美味しさを知って欲しい。」っと言う思いから実現したと言っても過言ではありません。お値段は大人2980円、さらに…飲み放題980円!しかも…アサヒスーパードライも飲み放題!マッコリ、焼酎7種類、泡盛、チューハイ、ハイボール、果実酒、ソフト全部全部飲み放題で980円です。和牛もこだわり、沖縄の代表格の「石垣牛」、本店オープンからのお付き合いだからこそ協力してくださる日本三大和牛が一角「近江牛」、さらに肉質が大変いい事で有名な鹿児島、宮崎、佐賀、栃木、千葉、山形、北海道など多くの和牛を味わっていただきたいと思ってます。これだけに終わらず、沖縄が生んだ絶品銘柄豚肉「あぐー」も食べ放題です!!!!ロース、バラ、豚トロの3種類です。そして看板に恥ぬようにホルモンのラインナップは食べ放題では右に出るものはないでしょう。丸チョウ、コプチャン、シマチョウ、上ミノ、ミノサンド、ハラスジ、リードヴォー、ほっぺ、あご、アカセン、フワ、脂付きコリコリ、コブクロ、テール、ハチノス、もちろん和牛です。沖縄の銘柄鷄「やんばる若鶏」もも、ササミ、砂肝などから、日本三大地鶏が一角「薩摩知覧鷄」もも、セセリなど…当時も思っていましたが、今思っても、この値段設定はクレイジーですね。
自分のブログから引用しますが「儲けるとか儲けないとか関係ないです。どこの肉かもわからず、ただタレでごまかしたようなゴワゴワな肉の食べ放題を食べてたり、悪臭放ち、色がおかしいホルモン。ブラジルやメキシコなどのいかがわしい鶏や豚。冷凍食品のオンパレードのサイドメニュー。外国の畜産に関しては日本では法律上禁止されている餌や抗生物質を与えまくっているのが事実です。その肉が人の口にはいる事を想像しただけでゾっとしませんか?自分はともかく我が子、我が孫に食べさせられますか?外国の安い牛(外国産の牛の原価は和牛に比べると5分の1から10分の1)を使えば、確かに儲かりますが、飲食に関わる以上、焼肉と言う小さなカテゴリーではありますが、こう言う食べ放題を野放しにせず、一石投じたいのが我々の考えであり、目標の一つでもあります。そしてそれが実現、認知されれば疾風戦士の勝ちなのかもしれません。」20代の自分、熱いですね(笑)当時から健康や次の世代のためにって気持ちが強く、今でもそれは変わりません。当、食べ放題で食事された、当時の学生さんや若き社会人のお客様が社会的成長して、疾風ホルモン本店、前島店に今も来てくださっています。
閉店になる切欠は何といっても、マナーの悪い客が増えた事です。黒字店舗でしたが、予約なしで飛び込んできて、片付ける10分すら待てずに帰る客、予約をドタキャンする客、すっぽかす客、たくさん食べる事をゲーム化して吐くまで食べて吐いてからも食べるなどする客、肉が遅いや店員の態度が悪いなどの理由でわざとジョッキを割るなどする横暴な客、追加料金逃れから食べ残しを焼いて捨てたり隠したりする客(ここはお客様と書かず、客と書きます)そういうのに嫌気がさした、命を遊びにしてはいけない。そう思い、1年で1万人来店しなければ閉めると決め、(20坪なので1日2回転半必要)届かなかったので、2014年12月いっぱいで閉店いたしました。詳しく書くと本当に長くなるので、知りたい方は当時のブログをリンクから、覗いてみてください。疾風ホルモン「国際通り店閉店へ」
プロデュース店 黒毛和牛
食べ放題 蔵の釜(2013年9月27日契約解除)


2013年2月1日オープン
書くかどうか、悩みましたがこれも一つの歴史として受け止め、書きとどめておこうと思います。元はご贔屓にしてくださった常連様が「蔵の釜」なる、デリバリー型釜めし店を経営してた関係で、是非ともコラボレーションしてほしいっとお声かけ頂き、実現したのが、疾風ホルモン釜めし。これが2012年11月の出来事。蔵の釜×疾風ホルモン釜めし記事
好評のまま、コラボレーションを終えたまではよかったのですが、「焼肉屋の居抜き物件があって、その起ち上げを手伝ってくれないか?」っという、お話を頂きました。お世話になった事もあり、これを受ける事としました。ですが、なんとなく、那覇で広い面積で焼肉設備付き居抜きで家賃が安かったので借りたようで、正直、いい立地とは言えないところで、家賃安くて当然だなっと、どう戦うべきだろう…っと、一抹の不安を隠しきれません。
ですが、我々も名前を出す以上は当たり前ですが、真剣に取り組みました。全員、素人ですから、疾風ホルモンのスタッフもフル動員で肉の知識、カット技術、接客方法も育成していき、お肉の仕入れルートやお酒などの仕入れルート、レシピなど惜しげもなく教えました。オープンに先駆けてSNSを駆使したり、CMも打ち、力を合わせた結果、問い合わせが6000件、オープン月の集客動員数1500人を越えました。もちろん、オープン割引での集客力もすさまじかったのは確かです。
ですが、6カ月たったころ、オープンするにあたっての赤字(設備、仕入れ、人件費)が多すぎる事から、蔵の釜の経営者の知り合いの方に経営者が変更になりました。つまり「蔵の釜」の経営母体が変更したのです。そして、コストカットの白羽の矢がプロデュース料に刺さり、あえなく9月にプロデュース解除となりました。我々としては、やはり一番苦しいオープン前後に使われた事、ノウハウを吸収された事もそうですが、疾風ホルモンプロデュースと大きく宣伝したことで、解除後も問い合わせや、クレームが疾風ホルモン側まで殺到し、それらを対応したスタッフや、名前が傷つくのが苦しかったです。契約解除後の記事 契約解除後に問い合わせなど多かった時の記事
正直いい思い出ではないのですし、闇に葬ろうかとも思いましたが、学びもあるので残そうと思います。学んだ事はプロデュースやコラボレーションはしない、良くも悪くも責任は自分で取れる経営をする事。知識や技術やノウハウは財産であること、簡単に他人に渡してはならない。
2010~2013年までの出来事
2010年4月20日宮崎県口蹄疫
平成22年4月に宮崎県で発生した口蹄疫は、297,808頭の家畜の尊い命を奪い、また畜産業のみならず地域経済や県民生活に大きな影響を及ぼしました。終息後の競りまでに半年以上も時間を要していました。口蹄疫からの再生、あのつらく悲しい経験を忘れないことが大切です。そして、そんな世間が和牛に対して厳しい逆風の中、「疾風ホルモン」は産声をあげます。前途多難、何とも我々らしいスタートです。宮崎県口蹄疫の記録



2010年7月12日疾風ホルモン久茂地本店オープン
2010年8月緑提灯を取得
日本の農林水産物をこよなく愛でる粋なお客様のため、カロリーベースで日本産食材の使用量が50%を超えるお店が条件で緑提灯を飾っています。緑提灯HPではこうも書かれています。
「お店は食材の仕入先を知っているけど、お客はそれを知ることが出来ない、こんな情報の非対称性を補うためにも 「正直を重ねて、信用を得る」ことを旨としている地道なお店だけに参加してもらうようにしています。いわば、 緑提灯がお客を大切にする店主さんの「心意気」や「覚悟」を象徴しています。」緑提灯HP

2011年2月1日 かしわ焼肉専門 疾風とりべえオープン
2011年3月11日 東日本大震災
忘れてはいけない未曽有の大地震。国内最大規模となるM9.0の地震が発生し、大津波により東北地方の太平洋沿岸に大きな被害をもたらした。警察庁によると、2021年3月10日現在、死者1万5899人、行方不明者2526人、死者不明を合わせて1万8425人(前回2020年12月10日現在、死者1万5899人、行方不明者2527人)
震災から2カ月ほどは自粛ムードで、オープン当初以来の大赤字だったと記憶しています。やがて、国全体が消費を増やして、経済を回さないと税収が増えない=復興に協力的ではない…っという、見方が広まり、一気に忙しくなったのを良く覚えています。消費して応援。微力ながら、店内に募金箱を設置して寄付したのを覚えています。



2012年4月6日 A5焼肉と3Dステーキ 疾風ホルモン前島店オープン
2012年5月1日 法人化「株式会社8770」
会社名に大した意味はありません。ただ事務所の電話番号の下4桁が8770だったからです(笑)
2012年5月29日 疾風とりべえ閉店
2012年6月1日 A3和牛食べ放題 疾風ホルモン国際通り店オープン
2012年7月1日 レバー刺し、ユッケの販売停止
2011年4月、富山県のとある焼き肉店で死者5名を出す食中毒事件が起きました。被害者は合計181人と言われており、その客のほとんどがユッケなどの生肉メニューを食べたことによる食中毒が原因との知見です。ただ、これは店だけの責任でなく、肉の卸業者の衛生管理も不届きで、レバーを切った包丁で生食する牛肉をカットしていたといわれています。
ユッケに関しては、保健所が定める衛生管理の元、ルールに従って取り組む場所や道具があれば、許可がおりるようになっています。(審査パスするのは手強いです)もちろん、我々は取得しておりますが、ルールに従う事で歩留まりが非常に悪くなり、当時900円から、2000円に値上げする他ありませんでした。レバーに関しては今も法律で禁止されています。それでも未だに(2022年)レバー刺しを出してほしいっと言われます。もちろん、犯罪には加担しません。当時は思うこともありましたが、今はこれでよかったと個人的には思っています。


2012年7月 配達弁当事業開始
この頃から宅配弁当・ビーチパーティーセットを始める事となりました。当時から、ちょくちょくお弁当の注文あったんですが本格的に開始。沖縄はまだまだ紙媒体が強く新聞折込やブログなど、宣伝に力をいれましたが、この時は泣かず飛ばずでした。原因としては値段が弁当2000円、ビーチパーティーセット10000円からと、当時は味や肉の質に関係なく、値段のみで高いと印象を持たれてました。あとはオペレーションの悪さだと思います。(ありがたい事に、この頃から定期的にご注文頂いている方もいます)
完全撤退という訳ではなく、細々と継続したことでノウハウが構築され、2016年頃から、じわじわと認知され、月に数百個売れる事業になりました。後のコロナ禍でもスムーズにテイクアウト事業に移行できたことも強かったと思います。現在も継続中です。(画像は当時のもので現在は変更されています)詳しくは配達・持ち帰りページで ビーチパーティーセットはアイラブビーフオキナワにて受付中


2013年1月 「認証近江牛」指定店に登録
近江牛の中でもトップクラスに位置付けされている「認証近江牛」を使い続けて約3年…遂に疾風ホルモンは沖縄では最初で最後となります(今後、滋賀県外には許可しないという協議会決定)近江牛指定店としての審査に通り、晴れて近江牛推進協議会員の指定店として営業することとなりました。基準はかなり厳しく、指定の仕入れ先、指定の仕入れ量をクリアしないと継続できない仕組みとなっており、一度クリアすれば継続できるものではなく、毎年の更新(仕入れに関する資料提出)が必要になる、消費者側からすれば信用になる証明書になると思います。クリアすれば看板などにロゴなども使えるようになります。そして偶然にも「疾風ホルモン」が200店舗目で200店登録の会にもご招待していただいたので、参加させていただきました。めちゃくちゃ嬉しかったです。
【飲食店、ホテル、旅館の要件】
①会員自らが営む飲食店、ホテルおよび旅館(以下「直営飲食店等」という。)で、年間を通じて、認定「近江牛」の部分肉を250kg以上取扱うこと。
②会員または直営販売店等もしくは直営飲食店等から、年間を通じて、認定「近江牛」の部分肉250kg以上を購入すること。
③年間を通じて、認定「近江牛」の部分肉250kg以上を購入しており、指定店にふさわしいと委員会で承認されること。
近江牛生産・流通推進協議会(是非、登録店舗地図を引いて沖縄を見てください。なんか笑えます)




2013年4月21日 疾風ホルモン愛犬用おやつFUSAOデビュー
ペットフード安全法に基づき、愛がん動物用飼料製造の届出が完了させ、グリーントライプを含むナチュラルドッグフードの販売開始。社長は愛犬家でもあり、並々ならぬ情熱で販売しはじめました(ペットショップなどにも卸してました)が、一部の愛犬家には受け入れられましたが、中々、素材が集まらないや、仕込みの費用対効果が薄いなど、販売規模が縮小、そして販売停止しました。ですが、このノウハウやペットブームもあり、2020年アイラブビーフオキナワにて再販後、人気商品となり、現在も販売しております。(画像一部は当時の物です)
2013年10月~11月 食品偽装問題
2013年の日本で発覚し社会問題化した、食材偽装問題(しょくざいぎそうもんだい)について記述する。以前から同種の問題は発覚していたが、社会問題化したのは2013年(平成25年)10月の阪急阪神ホテルズによる発表以降である。まず発覚し大きく報道されたのが、複数のホテルのレストランで提供された料理のメニューで、表示していた食材や産地と異なるものを使用していた事件であったことから「ホテル食品偽装問題」「メニュー偽装問題」とも呼ばれた。ホテルだけでなく百貨店内のレストランや物販など、全国各地で偽装が発覚し社会問題化した。ホテルや百貨店といった高級店で多数の食材偽装が長期にわたり行われていたことが判明したため、ブランドは大きく失墜し、消費者の信頼を失うこととなった。当時はミシュランの星付きのお店や一流レストラン・ホテルが芋づる式で偽装がバレて、すごかったのを覚えています。奇しくも、当社はこの一件以来、常に牛肉の個体識別や産地、部位分けによる明確化が評価される結果になりました。


